2023年2月26日まで東京の府中市美術館で開催されていた「諏訪敦 眼窩裏の火事」という展示を見てきました。
行ったのは2月21日、グズグズした天気の新潟県から新幹線で晴天の東京へ。
新宿から京王線で府中駅、そこから路線バスで美術館と…なかなか時間がかかりますね。
学生時代を過ごした小金井の真南が府中で、武蔵野の住宅地の風景が懐かしいですね。
さて、府中市美術館は初めて訪れましたが、昨年訪れた練馬区立美術館くらいの規模。
鉄道の駅からやや遠いのが立地上のハンデではありますが、イイ感じの建物です。
展示のリーフレットは2パターンありました。
大地で朽ちていく人体と静物(グラス)
この諏訪敦という作家さんは、現代の写実絵画を紹介する書籍でお見掛けしておりました。
この展示を見る前の印象は「エクトプラズム」を描く画家さんw
普通は見えない人体から出てくる「オーラ」「エクトプラズム」みたいなものをよく描いているんです。
神秘的、霊的、生死…というキーワードを感じていました。
で、今回の展示は3部構成。
第1章 棄民
第2章 静物画について
第3章 わたしたちはふたたびであう
展示を紹介した動画 ↓
第1章は父親が敗戦直後の満州で母と弟を失った…という事実を元に制作した作品群。
満州現地まで行って取材し、主に母親の死んでいく様の表現を中心にしている。
病死した父親の母親(画家にとっての祖母)が荒野で朽ちていく作品は、背格好の似たモデルを一度描いて…病気で痩せていく様を上描きし…最後は死亡後に変化する様をさらに上描きしてやっと仕上がるというプロセスを踏んでいったそうな。
私は見ていないのですが、その制作過程はTV放映されていたとのこと。
正直そりゃぁ「反則」みたいなものじゃないか?!とも思いましたが…「そこまでやる」ところも含めて作品であるということもできますよね。
その昔は神話や宗教上のストーリー、さらには王侯貴族の事績等を美術は表現してきたわけで…現代においてはストーリーすらセルフで作ることもあるということでしょうか。
第2章はちょっと後で触れるとして、第3章を…
ここでは「肖像」がテーマになっていると思いますが、舞踏家大野一雄を描いた作品ではもちろん活動している姿もありましたが、晩年寝たきりになり、もはや半分死者になっているのではないかという姿の作品もありました。
さらに、大野一雄の舞踏を再現しようと試みる川口隆夫をモデルとして、死後も受け継がれる舞踏を絵画化していたりします。
その他にも亡くなった方の生前の姿だったり、どうもこの方の人物画は「死」の重さを感じてしまいますね。
正直、鑑賞していくにはエネルギーが必要です。
それに対して第2章はコロナ禍でアトリエにこもる時間が長かったのでしょう…静物画が並んでいて、こちらは「死」の要素がほとんどないので比較的気楽に見ることが出来ました。
この静物画群のなかに、展示のタイトル「眼窩裏の火事」、また「目の中の火事」という作品がありました。
ものを凝視し過ぎると見える光点が、まるで漂う人魂のような表現で描き込まれていました。
写実絵画とはいえ、それは画家の目に映った(もしくは脳で受け止めた)現象が画面に再現されているということなのですね。
これは髙島野十郎が目を閉じたときに「見える」ものを描いた作品と通ずるものがあるように思いました。
静物のモチーフで印象深いのはグラス。
しかも新しいものは無色透明だが、時代の古いものはちょっと黒っぽく描き分けられています。
ひとつだけイカが描かれた作品がありましたが、表面の透明感がグラスと通じるかな…とか思いますし、それがまた視覚で感じた光点と相性が良いのではないでしょうか。
あと面白かったのは豆腐。
明らかに明治初期に洋画の草分けとなった高橋由一の作品が下敷きにあると思いました。
そして由一より明らかに表現が上手い(笑)
そして、豆腐モチーフの作品だけ他と違う雰囲気を感じて…「なんでかなぁ?」と思ったら…豆腐の作品だけ逆光なんですね。
「だからなに?!」と言われると返答に困るのですが、逆光なんですよ。
日本美術史的な要素としては禅画に見られる〇△□をその形のモチーフで表現したものもありましたね。
自分も静物描いてみようか…と思いました。
全体にかなり鑑賞するにエネルギー取られる気がしました。
が、たまにはこういう展示も良いかもです。
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