著者は倉山満氏、この方は現在日本の世の中一般に充満している価値観とは異なる切り口で歴史や社会を語っています。
この本も日本人が「無邪気に」信じている国際法の成立過程を歴史的に検証しています。
その歴史で最も重要な人物が16世紀、現在のオランダに生まれたフーゴ―・グロティウスとであるとしています。
当時のヨーロッパは「誰々の領地」に分かれていて現在の「国家」という概念は無かった時代。
その頃はカトリックvsプロテスタントで血で血を洗う30年戦争が繰り広げられていたわけですが、それは「戦争」ではなく「殺し合い」であったと著者は指摘。
「血に飢えたライオン」という例えで当時の野蛮な状態を表現、そこにグロティウスが現在の国際法の概念を無から考えだしたというのです。
何が野蛮であったかといえば、宗教戦争においては相手を信じるものが異なる「悪」=人間でないものとして残虐の限りを尽くしたとのこと。
(現代のイスラム過激派も同じような感覚か)
グロティウスの死後になりましたが、ヨーロッパの宗教戦争を収束させることになったウェストファリア条約とそれが定義する世界秩序に「戦争の作法」が規定されたというわけです。
国家どうしで利害が対立し、どうしても外交交渉で解決できない場合に「国家の決闘」として戦争を行うので、手順を踏んで宣戦布告をもって始まる。
また、相手国の存在を尊重し国同士話がつけば不必要な虐殺や略奪はやらない...といった内容です。
本書後半では、意外なことにそうしたルールを生真面目に守ろうとしたのは大日本帝国だったということが語られます。
国家といっても王族が君臨していた近世では守られていた戦争の作法ですが、近代のヨーロッパ人(アメリカ人も含め)は相手の国家そのものが破壊されるまで徹底的に叩きのめす戦争をいくつも行ってきました。
日本も第二次世界大戦で連合国に徹底的にやられた結果、国家の仕組みを作りかえられました。
(日本が降伏する際に国体護持にこだわったのも国そのものを破壊されることを恐れたわけで、それほど非常識な虐殺・破壊行為をアメリカは行った)
ウェストファリア体制の考え方からすれば明らかにやり過ぎですが、戦っている最中は「独裁国家は悪」として、抹殺しても良いものにして大義名分を守ったのですね。
本書では触れられていませんが戦後アメリカによって、それまでの日本は悪だと当の日本人がすり込まれて現代に至ります。
アメリカは大規模な空爆で非戦闘員を大量虐殺しておきながら、戦争の現場での作法に気を使う方であった日本軍を全て悪と信じ込ませたわけです。
そこには白人以外の人種への差別意識や、アメリカの極東への影響力拡大の欲求が絡んでいたかもしれません。
21世紀の現代でも、アメリカ、ロシア、中国といった「大国」は野蛮な戦いを仕掛けているし、逆にISのような従来の国家の定義にはめられない存在との戦いも発生しています。
また、ウェストファリア体制は国家間で約束は守ることを期待していると思うのですが、意外と約束を破る国はあると思うべきでしょう。
現代の日本ではとにかく「戦争」=「殺し合い・虐殺」で思考が固定された人ばかりで、議論が封殺されています。
歴史教育とはこういった問題を柔軟に考えられるようにするべきだと思わされる一冊でした。
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