上野にある国立西洋美術館は松方コレクションを展示するために作られたというのは比較的有名なお話でしょう。
今回、開館60周年(!)を記念してその松方コレクションの全貌を可能な限り表現しようというのが「松方コレクション展」なのでした。
松方コレクション展特設サイトへのリンク
国立西洋美術館公式サイト所蔵作品紹介ページへのリンク
まずは地下の展示室に入る直前に上半分が失われた睡蓮をデジタル復元した画像がプロジェクターで投影されていました。
この復元過程はNHKで番組化されていましたね。
概ね原寸大だったと思います。
展示室に入るとまずは…
プロローグとして…常設展で必ず展示されている…
クロード・モネ「睡蓮」1916年
個人的には学生時代から幾度となく見てきたおなじみの作品です。
視力が衰えつつも、最晩年の抽象的な画面になる前…まだ具象性が強い画面です。
そして、コレクションを築き上げた松方幸次郎の肖像画も
フランク・ブラングウィンによる松方の肖像画
あと、松方が日本に建てようとしていた共楽美術館の構想画も。
これより、展示の本編としてコレクションを収集した時期順にまとめられています。
全体の印象は「点数が多い!」
作品155点、資料23点、あわせて178点ありました。
一つの壁面に展示される作品数は素描などもあり、普通の企画展の2倍はあったと思います。
これも圧倒的なコレクション規模を感じさせるためでしょう。
出品作品リスト
最初のセクションⅠはロンドンで収集を始めた頃のもの(1916-1918年)
アドバイザーを務めた画家のブラングインなど当時の作家のものもあれば古くは15世紀のカルロ・クリヴィエッリ等と…年代的には広く収集していたことがわかります。
カルロ・クリヴェッリ「聖アウグティヌス」1487or1488年頃?
この頃は近代絵画としては、印象派はなくてラファエル前派のロセッティとか、ジョン・エバレット・ミレイ、ホイッスラー、セガンティーニとか買っています。
ジョン・エバレット・ミレイ「あひるの子」1889年
いかにも当時イギリスで一般受けしそうな画面。
常設展で見られます。
ジョバンニ・セガンティーニ「羊の毛刈り」1883-1884年
こちらも常設展でよくみられる作品。
続いてのセクションⅡでは松方が大もうけした第一次世界大戦を題材とした作品群。
史上初の兵器大量生産による戦いとなったので、イギリスの生産力を表現したプロパガンダ的な版画。
ジョージ・クローゼン「大砲の製造:砲身を挙げる」1917年
ジョージ・クローゼン「大砲の製造:回転クレーン」1917年
もろプロパガンダ的な作品がある中で…戦争の悲劇的な側面を描いたものも。
リュシアン・シモンという私の知らない作家ですが、よく描けています。
「墓地のブルターニュの女たち」(1918年頃)
これも松方コレクションとのこと。
「墓地のブルターニュの女たち」(1918年頃)
これも松方コレクションとのこと。
セクションⅢは松方が経営していた造船業から海を題材とした作品が並んでいました。
アドバイザーのブラングインは船乗りやってたこともあり海上の船は上手いものです。
ブラングインの荒天時の船舶を描いた絵は臨場感があってなかなかのものですが…
ウジェーヌ=ルイ・ジロー「裕仁殿下のル・アーヴル港到着」1921-1922年
昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパ外遊されたときの光景を絵画化するよう松方が発注したとのことです。
海軍の軍艦に乗られて各国を訪問されたそうです。
こうした歴史的な作品もありました。
印象派的な手法で描かれています。
昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパ外遊されたときの光景を絵画化するよう松方が発注したとのことです。
海軍の軍艦に乗られて各国を訪問されたそうです。
こうした歴史的な作品もありました。
印象派的な手法で描かれています。
その次、セクションⅣに西洋美術館の目玉になっているロダンの彫刻作品がきます。
みんな知ってる「考える人」はじめ、常設展でおなじみの作品多数!
展示場所が変わると、ちょっと違って見えるような気がします。
ロダン作品収集に多大な貢献があったヴェネディット(ロダン美術館館長!)との関係が分かるような展示もありました。
どうも松方幸次郎という人はキーマンにアプローチして仲良くなってしまう才能があったようです。
そして、いよいよセクションⅤは「パリ1921-1922」印象派絵画の名品が!
いつも常設展で見られる作品が並ぶ中、第二次大戦後フランスが返却拒否した重要作が里帰り(?)展示されていました。
一番驚いたのはゴッホの「アルルの寝室」(1889年)
オルセー美術館所蔵で画集には必ず収録される代表作ですが、そもそも松方コレクションに入っていたんですね( ゚д゚ )
もう一つオルセー美術館所蔵の作品
ポール・ゴーガンの「扇のある静物」(1889年)
日本美術の影響がよくわかるモチーフ(扇)と静物の組み合わせて面白い画面作りです。
西洋美術館の常設展で見られるモネの「舟遊び」(1887年)
モネ作品の中でも異色のボート半分を切り捨てた構図が目を引きます。
他にも常設展でおなじみのモネ作品が並んでいました。
常設展おなじみのルノワール作品として
「帽子の女」1891年
常設展おなじみですが、ミレーにしては珍しい大型画面の作品
「春(ダフニスとクロエ)」1865年
セクションⅥでは、ハンセンコレクションの獲得というタイトルで、1922~1923年にかけての交渉の末獲得したハンセンコレクションからの作品が並びます。
ここで特筆すべきはマネの作品2点でしょうか…
西洋美術館の常設展でよく展示されている大型の肖像画
「ブラン氏の肖像」(1879年頃)
現在長期休館中のブリヂストン美術館で展示されていた珍しいマネの自画像。
ブリヂストン美術館の収蔵品にもかつて松方コレクションに入っていたものがあったとは!
「自画像」(1878-1879年)
そして、ドガによるマネ夫妻を描いた作品が!
マネ本人が見て、奥様の顔が気に入らないとキャンバスを切ってしまったという逸話の残る絵です。
「マネとマネ夫人像」(1868-1869年頃)
北九州美術館蔵で、上のマネの自画像とともに散逸した松方コレクションが日本国内に残った事例です。
「積みわら」の作品群の中でも人物が入れ込まれたちょっと珍しい作品。
「積みわら」(1885年)
大原美術館にもかつて売却された松方コレクション作品が所蔵されていました。
大原美術館にもかつて売却された松方コレクション作品が所蔵されていました。
セクションⅦでは「北方への旅」としてムンクの作品まで収集していたことがわかります。
エドヴァルド・ムンク「雪の中の労働者たち」(1910年)
旧松方コレクション→個人蔵→国立西洋美術館に寄託
旧松方コレクション→個人蔵→国立西洋美術館に寄託
セクションⅧでは第二次世界大戦とコレクションの散逸に関する展示でした。
第一次世界大戦で大儲けしてとんでもないペースで買い集めたコレクションも、その後の不況と第二次世界大戦の混乱で大半が散逸していったという内容の展示です。
ロンドンに保管していた作品は倉庫火災で全部消失(約900点)!
日本に持ち帰った作品は、経営していた造船会社の負債を解消するため多くが売却され…!
パリに集めた作品群も1944年にフランス政府に接収され…戦後に返却する話が出たものの、重要作はフランスに留め置かれ、オルセー美術館等に収蔵されたり…( ゚д゚ )
そんな混乱期でも、フランス政府に「渡さなかった」作品が↓
ピエール=オーギュスト・ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」(1872年)
ドラクロワのオリエンタル風味に影響を受けて描かれた作品で、ルノワール初期の重要作だそうです。
ドラクロワのオリエンタル風味に影響を受けて描かれた作品で、ルノワール初期の重要作だそうです。
最期のセクションはエピローグとして、デジタル復元された睡蓮の原画が展示されていました。
クロード・モネ「睡蓮・柳の反映」1916年
上半分が失われた痛々しい状態でした。
モノクロ写真があったとはいえ、、よくも復元したものだと感心したのでした。
以上の流れで展示されていましたが、点数にして7割以上が西洋美術館の収蔵作品で構成されていまして…あらためてコレクションの質の高さを感じました。
一通り見ての感想は、美術作品は経済的な要因で集められたり散逸したり、あるいは破壊されたりするのだというものでした。
歴史的にみても…はるか昔は王侯貴族や教会や寺社仏閣といった宗教勢力が長年、美術作品の制作、収集、所蔵の役を担っていたわけですが、それは経済的な力がそこに集中していたからだと考えられます。
それが近代以降は資本家が美術の世界にプレイヤーとして登場してきたわけですが、日本人にも20世紀に入って松方幸次郎のような収集家が現れたというのが歴史的な流れでしょう。
それにしても第一次世界大戦という戦争によって巨万の富を蓄えたことでコレクションを築いたのに、(恐慌などあったにしても)第二次世界大戦で決定的に散逸してしまうのは、「美術」「経済」「戦争」という要素が密接に絡み合っているのだ…という世界観に思い至らせるのでした。
2019年9月23日まで開催しています。
今回、常設展示の作品が企画展示室にいったことで、常設展示のスペースは今までなかなか見たことないような面白い展示になっていました。
それはまた、あらためて記事にしましょう。
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