2017年7月19日、新潟県立万代島美術館で開催されていた「レオナール・フジタとモデルたち」展を見てきました。
元々は藤田嗣治という名前で、戦後フランスに帰化してカトリックの洗礼を受けてレオナールという名前を授かったようです。
その作品のほとんどが人物モチーフで、この回顧展も「~とモデルたち」というタイトルでモデルとの関係性を軸に構成されています。
最初期から晩年までの作品を一度に見られるというのは藤田の場合はかなりレアなような気がします。
「婦人像」1909年 藝大所蔵
最初期の作品。
まだ、後に見られる表現上の個性は見られません。
展示はこの後フランスに渡っての作品が続きます。
フランスに渡った当初は、モディリアーニとそのパートナー、ジャンヌ・エビュテルヌとも友達になりだいぶその影響を受けたと思わせる作品を残しています(画像はありませんが)
モディリアーニは若くして亡くなってしまいますが、それがきっかけなのでしょうか…モディリアーニの影響は消えて、日本的な線描とそれを活かす乳白色の下地を開発し、エコール・ド・パリの売れっ子画家になっていくんですね。
「アンナ・ド・ノアイユの肖像」1926年 DIC川村記念美術館所蔵
売れっ子時代の一枚でしょうか。
近寄ってみると衣装のレースの細かい描写がチマチマと丁寧に描かれていて驚きます。
あと、不思議な広さの余白も和の感覚を感じます。
「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」1928年 ミュゼ・メゾン=アトリエ・フジタ所蔵
鮮明な画像はありませんが、人物の群像です。
ミケランジェロ的な人物があふれる、ある意味西洋絵画の伝統に挑戦するかのような作品です。
習作の素描も展示されていましたが、やはりミケランジェロ的マッチョ感あふれるものばかりでした。
正直、挑戦するという意識が強すぎて藤田の良さが出ていないのではないかと思ってしまいました。
「眠れる女」1931年 公益財団法人平野政吉美術財団所蔵
解説によると藤田の4番目の妻となるマドレーヌを描いた作品。
構図自体はベネツィア派から続くヨーロッパでは非常に伝統的なポージングです。
描法は従来ヨーロッパなかったものなのに、構図は400年ほど前から連綿と続く伝統的なものというある意味マネのようなアプローチなわけです。
「私の夢」1947年 新潟県立近代美術館・万代島美術館所蔵
この作品は旧大光コレクションに含まれていたもので、私は高校の頃に巡回展で見たおぼえがあります。
上の「眠れる女」と同じポーズで戦後になって描かれた作品です。
この二つの作品の間には第二次世界大戦があり、戦争中藤田は戦争画を積極的に描いていました。
ただ、藤田の戦争画は単純に国威発揚ではない戦場のドロドロした現実を表現しているように見えます。
それでも、戦後すぐは非難の的になったりしてかなりストレスを感じていたようです。
そんな時代の作品で、その心象風景なのでしょうか…裸婦の周りに怪しげな動物たちが集まっています。
「ジャン・ロスタンの肖像」1955年 パリ、カルナヴァレ美術館所蔵
すでに画家は相当高齢になっていたはずですが、緻密な描写が印象的な作品ですね。
藤田の職人的画家としての特色が余すところなく発揮されているようです。
「花の洗礼」1959年 パリ市立近代美術館所蔵
晩年に近い時代の作品です。
ボッティチェリの三美神を彷彿とさせる作品です。
独特の線描に白地への淡い彩色が合わさり、初期ルネッサンスのフレスコ画のような効果を生んでいるような気がするのは私だけでしょうか?
他にも画像はありませんが、ジャン・コクトーの「海龍」への挿絵はモノクロで、描線の鋭さは現代でいえば天野喜孝のような空気感を持っていて「そっちの先駆者でもあったのか!」という気づきもありました。
そういえば、藤田のトレードマークはちょび髭に丸眼鏡。
現存する丸眼鏡の展示もありました。
全体的にさりげなく実は見どころいっぱいという展示であったかと思います。
元々は藤田嗣治という名前で、戦後フランスに帰化してカトリックの洗礼を受けてレオナールという名前を授かったようです。
その作品のほとんどが人物モチーフで、この回顧展も「~とモデルたち」というタイトルでモデルとの関係性を軸に構成されています。
最初期から晩年までの作品を一度に見られるというのは藤田の場合はかなりレアなような気がします。
「婦人像」1909年 藝大所蔵
最初期の作品。
まだ、後に見られる表現上の個性は見られません。
展示はこの後フランスに渡っての作品が続きます。
フランスに渡った当初は、モディリアーニとそのパートナー、ジャンヌ・エビュテルヌとも友達になりだいぶその影響を受けたと思わせる作品を残しています(画像はありませんが)
モディリアーニは若くして亡くなってしまいますが、それがきっかけなのでしょうか…モディリアーニの影響は消えて、日本的な線描とそれを活かす乳白色の下地を開発し、エコール・ド・パリの売れっ子画家になっていくんですね。
「アンナ・ド・ノアイユの肖像」1926年 DIC川村記念美術館所蔵
売れっ子時代の一枚でしょうか。
近寄ってみると衣装のレースの細かい描写がチマチマと丁寧に描かれていて驚きます。
あと、不思議な広さの余白も和の感覚を感じます。
「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」1928年 ミュゼ・メゾン=アトリエ・フジタ所蔵
鮮明な画像はありませんが、人物の群像です。
ミケランジェロ的な人物があふれる、ある意味西洋絵画の伝統に挑戦するかのような作品です。
習作の素描も展示されていましたが、やはりミケランジェロ的マッチョ感あふれるものばかりでした。
正直、挑戦するという意識が強すぎて藤田の良さが出ていないのではないかと思ってしまいました。
「眠れる女」1931年 公益財団法人平野政吉美術財団所蔵
解説によると藤田の4番目の妻となるマドレーヌを描いた作品。
構図自体はベネツィア派から続くヨーロッパでは非常に伝統的なポージングです。
描法は従来ヨーロッパなかったものなのに、構図は400年ほど前から連綿と続く伝統的なものというある意味マネのようなアプローチなわけです。
「私の夢」1947年 新潟県立近代美術館・万代島美術館所蔵
この作品は旧大光コレクションに含まれていたもので、私は高校の頃に巡回展で見たおぼえがあります。
上の「眠れる女」と同じポーズで戦後になって描かれた作品です。
この二つの作品の間には第二次世界大戦があり、戦争中藤田は戦争画を積極的に描いていました。
ただ、藤田の戦争画は単純に国威発揚ではない戦場のドロドロした現実を表現しているように見えます。
それでも、戦後すぐは非難の的になったりしてかなりストレスを感じていたようです。
そんな時代の作品で、その心象風景なのでしょうか…裸婦の周りに怪しげな動物たちが集まっています。
「ジャン・ロスタンの肖像」1955年 パリ、カルナヴァレ美術館所蔵
すでに画家は相当高齢になっていたはずですが、緻密な描写が印象的な作品ですね。
藤田の職人的画家としての特色が余すところなく発揮されているようです。
「花の洗礼」1959年 パリ市立近代美術館所蔵
晩年に近い時代の作品です。
ボッティチェリの三美神を彷彿とさせる作品です。
独特の線描に白地への淡い彩色が合わさり、初期ルネッサンスのフレスコ画のような効果を生んでいるような気がするのは私だけでしょうか?
他にも画像はありませんが、ジャン・コクトーの「海龍」への挿絵はモノクロで、描線の鋭さは現代でいえば天野喜孝のような空気感を持っていて「そっちの先駆者でもあったのか!」という気づきもありました。
そういえば、藤田のトレードマークはちょび髭に丸眼鏡。
現存する丸眼鏡の展示もありました。
全体的にさりげなく実は見どころいっぱいという展示であったかと思います。
コメント