東京ステーションギャラリーで開催されていた岸田劉生展を見てきました。
実はこの方のひ孫さんと同級生だったので、昔から関心のあった画家なのです。
これまで、何度か作品を見る機会はありましたが、これほどの規模での回顧展は初めて。
作品数がまたすごくて、リストを見ると前期後期の展示替えがありますがNo160まで振ってあるので一度に見られるのは100点くらいでしょうか。
これだけの内容で料金1100円というのはややお安いような気もします。
初めてステーションギャラリーに来たのですが、チケットは販売機でJRということでSUICAが使えます。
展示の状況がよくわかる動画がYoutubeにありましたのでご紹介しておきます。
展示内容は絵を習い始めた頃から晩年までの作品がビッチリ並んでいました。
初期においては黒田清輝に師事したため、印象派的な色使いです。
「銀座と数寄屋橋畔」1911年頃
小さい画面ですが日差しを感じる描写がしっかりなされています。
その後、ポスト印象派の影響が強くなったそうで…セザンヌ的ともいえるこんな肖像画も。
「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」1913年5月12日
なぜか制作日付を画面に書き込むことが多かった岸田劉生なので、多くの作品は1日単位で制作時期が分かります。
でもって、面白いのはそのままヨーロッパ美術の傾向の影響をなぞるのではなく、いきなりデューラーなどの写実的な表現に傾倒しちゃうんですね。
先祖返り的です。
また、娘の麗子をモデルにし始めます。
「麗子肖像(麗子五歳之像)」1918年10月8日
国立近代美術館所蔵で何度か見ている作品で、最初期の麗子像です。
もう一点、写実描写の頂点ではないかという肖像画
「古谷君の肖像(草持てる男の肖像)」1916年9月10日
デューラーの時代(16世紀)とは画材も違っているので同じようには描けないのでしょうが、デューラーのえぐるような描写とはやや違った仕上がりです。
(ちょっと高橋由一を連想しました)
あと、風景画の超有名作!(重要文化財指定)
場所は東京の代々木とのことで、昔勤務していた会社の近くと、何かと縁のある画家なのでした。
「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年11月5日
やや斜度が強調されているような気もしますが、ディティールは細々描き込まれています。
画面を横切る影は電柱のものであることが分かる別角度から描いた作品も
「代々木付近(代々木付近の赤土の風景)」1915年10月15日
静物画も一風変わった感じです。
「静物(白き花瓶と大皿と林檎四個)」1918年4月12日
かなりセザンヌ的な画面かな…と思ったこの作品はまだ普通(?)
「壺の上に林檎が載って在る」1916年11月3日
この構図は…他の画家はまずやらないのではないでしょうか。
なにか、信じたら誰に何と思われようがそれをやってみるような姿勢を感じます。
写実を追求するのもそれほど長くは続かず…日本画的な手法も試みて静物で同じモチーフを油彩と日本画両方のやり方で描いたりしていました。
そんなことするのは岸田劉生以外、聞いたことありませんね。
例えば椿の花
「竹籠含春」1923年4月9日
そもそもこの作品も油彩なのですが、落款の表現など日本画要素が入っています。
構図は異なりますが、椿の花を描いた日本画手法での作品も並んでいました。
さらに冬瓜をモチーフにした作品では構図までほぼ同じで油彩と日本画での作品もありました。
いわゆる南画の作品もありましたが、正直いいのかどうかよく分かりませんでした。
亡くなる直前の作品もありましたが、穏やかな印象を受けました。
「路傍秋晴」1929年11月
陽光を感じる画面で少し初期作の雰囲気に戻ったのかな?…と思いましたが、直後に亡くなってしまいます。
ヨーロッパ主導で激変し続けた美術の傾向とは距離を置いて、自分の信じることだけを続けていたのが岸田劉生という作家だったのでしょう。
独自性という意味では唯一無二の存在です。
大正~昭和初期という日本がまだ幸せであった時代であったことも大きいと思います。
1929年に亡くならずにそのまま生きていて、太平洋戦争に遭遇したらどうなっていたのでしょうか?
藤田嗣治のように良かれという思いで戦争画を描くのか?拒否しそうな気はしますが。
最後、物販コーナーではしり上がり寿氏によるイラストのついたグッズがありました。
図録は色の再現がやや不満だったので買いませんでした。
資料的な価値はあると思います。
東京ステーションギャラリー企画展のページ
ART AgendA 展覧会情報
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