2019年2月10日
FM PORT 中越グループPAN UP 雪田氏インタビュー
パーソナリティ:松村道子

「マツムラミチコの日々の泡。」本番組に触れた松村さんのブログ記事

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(オープニング「愛、かましたいの」)

今日のPAN UPは特別バージョンです。
スタジオにお迎えしたのはEHクリエイターズの雪田容史さんです。
ファンの皆さんの間で雪田さんは「ゆっきー」という愛称でよく知られた方だそうです。
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※雪田容史さん(UX「アイドル15年」より)

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今日はNegiccoのディレクター雪田容史さんをお迎えしてお話を伺った様子をお送りします。

そもそもなぜNegiccoのディレクターさんにインタビューをしたかというところですが…
昨年末、朱鷺メッセで行われたファンコミュニティサミットというイベントがありました。

ここでアルビレックス新潟の是永大輔社長、メガネのオンデーズの田中修治社長と共にトークイベントに登壇したのが雪田さんだったのです。

ファンを作るというテーマのトークでしたが、雪田さんはディレクターの立場からNegiccoの魅力、Negiccoとファン、Negiccoと新潟の関係性等語られました。

そして是永社長、田中社長という割とギラギラしたお二人の中で雪田さんは独特の雰囲気に包まれていました。

ほんわかと柔らかに愛情たっぷりにNegiccoについて語ったんですね。

その雪田さんの雰囲気こそがNegiccoの雰囲気ではないかと私は感じました。

参考リンク:noteファンコミュ新潟「登壇者の方々について知ろう! ~雪田容史さん編~」

そしてもう一つ雪田さんは新潟出身ではありません。

東京で活躍されていた職場を離れて、一昨年2017年末にNegiccoと仕事をするために新潟に移住しています。

雪田さんを新潟に向かわせたものとは何だったのでしょうか。

そこにはNegiccoというアイドルの独自性がありました。

ロングインタビュー最後までお付き合いください。

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今日はアイドルグループNegiccoのディレクター雪田容史さんの言葉をご紹介。

雪田容史さんは1982年生まれの37歳、青森県青森市の出身です。

音楽の魅力を知ったのは中学生の頃…高校卒業後半年で上京し、23歳の時タワーレコード新宿店で働くようになりました。

2011年、当時デビューから9年を迎えていた新潟発のアイドルグループNegiccoがタワーレコードのアイドル専門レーベルTパレットレコーズの第二弾アーティストに抜擢されます。

はじめのうちはスタッフの一人としてNegiccoの活動を手伝っていた雪田さん、しかしその後Negiccoと雪田さんの距離はどんどん近くなっていきます。

そして様々なめぐりあわせを経て、雪田さんは大きな決断をしました。
2017年末タワーレコードを退社、Negiccoのディレクションに専念するため新潟への移住を決めたのです。

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(松村)雪田容史さんです。よろしくお願いします。

(雪田)お願いします

(松村)青森市のご出身、どういう場所ですか?

(雪田)まぁホントに地方都市なんですが、新潟よりも全然栄えていないというか…冬になると雪も積もるし生活するにはかなり大変ですね。

(松村)市街地でも結構降る?

(雪田)市街地でも降りますね。家の前もすごく積もるんで雪かきから一日が始まるなんて感じですね。

(松村)雪かきから一日が始まる…では少年時代はどんな遊びを…雪遊びはもちろんのこと…

(雪田)…ゲームしたり、鬼ごっこしたり…なんか中学生になっても鬼ごっこしてたりしたので…

(松村)純朴なというか

(雪田)やることがないっていうか(笑)

(松村)そういったゆったりとした時間の中で少年時代を過ごされたということですね。初めて音楽に出会ったのはいつぐらいですか?

(雪田)…中学校に入って、スピッツとか奥田民生が自分の波長に合うってのがなんとなくあって、中三の終わりくらいにイエモンを知って…流れ的にはそんな感じです。

(松村)学生時代一番夢中になった音楽って何ですか?

(雪田)学生時代は中村一義です(キッパリ)

(松村)いわゆるTVでよく出てくるミュージシャンとかアーティストとはちょっと違う中村一義さんという通好みな音楽を好きになって、当時は今ほどネットもないじゃないですか…どうやって青森で情報収集をされていたんですか?

(雪田)基本的にはスペースシャワーを見て…で、ラジオを聴いて…で、あとはロッキンオンとかの雑誌を読むくらいです。

(中村一義の「主題歌」)

(松村)そうやって音楽が好きだという気持ちを抱えながらも…高校を卒業してすぐにそういう道にというわけではないんですね…

(雪田)高校を卒業して…基本的にやる気のある学生でもなかったので、頭もよくないですし…なんとなくどうしようかな?というのがあって、コンビニを受けて働いて…で半年くらいして東京行こうって思って、急に東京に出てきました。

(松村※ナレーション)先に上京していた友人を頼り、東京に出てきた雪田さん…その後はダラダラと過ごす日が続いたといいます。しかし二十歳になり少しでも大好きな音楽に近づきたいと渋谷のレンタルショップで仕事を始めました。
それから三年後、青森に住んでいた頃からあこがれていたタワーレコードに初めはアルバイトとして採用されます。

(松村)あこがれだったタワレコの仕事はどんなものでしたか?

(雪田)や~キツかったです。なんか当時はCDショップで働きたい人が結構いたと思うんですよ。やる気がない人は辞めていいよ…みたいな感じの風潮がまだあるような時代だったですね。

(松村)あこがれて入ってくる人はいくらでもいる…

(雪田)そうですねw

(松村)その頃雪田さん何歳くらいですか?

(雪田)23ですね、その時。

(松村)その中で歯を食いしばって頑張った部分もある?

(雪田)ハハハ…歯を食いしばったかは分からないですけど、なんとなく頑張りました。

(松村)担当としてはどんなことをされてきました?

(雪田)J-POPがだったんで、J-POPフロアに入って、最初はアルバイトなんでレジ打ったり、CD品出ししたり…ていうのが続いて、そこで認めてもらったのか分からないですけど、バイヤーになって…バイヤーなんで自分の好きな商品に数をつけて展開を決められるみたいな感じの立ち位置になりました。

(松村)そういうタワーレコードでのお仕事をする中で、雪田さん…Negiccoに出会います。Negiccoとの出会いはいつぐらいのことですかね?

(雪田)僕が新宿店で働いていて…自分で希望を出して、まずディストリビューション、インディーズの流通の部署があって、そこに異動の希望を出して…それが多分
2011年ぐらいなんですけど…そしたらすぐにレーベルの人がいないんで、レーベルで働いてくれという話になって…

(松村)レーベルというのはタワーレコードさんが出している…

(雪田)タワーレコードが運営しているなんですけど、そこにNegiccoがいたっていうことですね。

(松村)レーベルのスタッフとして、その中にいたアーティストの一つであるNegiccoと出会うということなんですね。
始めNegiccoの皆さんに会ったときはどんな印象を持ちましたか?

(雪田)本人たちにも何回か言っているんですけど、すごい田舎っぽいっていう…(笑)
その当時同じレーベルにバニラビーンズっていうスタイリッシュな人たちもいたんで、よりNegiccoの田舎い感じが強調されていたんですけど…まあそれはそれで個性で良かったと思うんですけど。
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※UX「アイドル15年」より

(松村)田舎っぽいと思う…それは地方発のアイドルというのも、当時の音楽業界としてはどういう立ち位置というか、珍しい感じだったんでしょうか?

(雪田)その時ちょうど、いろんなところから出てきているタイミングだったんですね

(松村)地方アイドルというのが…

(雪田)そこの注目もあったので、Negiccoもやるときは注目もされたってあると思うんですよね、レーベルとして。

(松村)雪田さんがぱっと見たとき田舎っぽいなと思ったNegiccoをタワーレコードとしてはどういう方向性で売っていこうということになっていたんですか?

(雪田)最初はとりあえず…NegiccoはCD-Rしか出していなかった状態だったので、タワーレコードの社長の嶺脇さんが、とりあえずCDを流通させたいと…で、曲はイイからちゃんと聞かせればちゃんと売れるんじゃないかみたいなところから始まっています。

(松村)雪田さんの目からは、このNegiccoたち、どうなっていけると個人的に感じていましたか?

(雪田)最初のときは下っ端なんで、見てるだけなんですけど…徐々に「こうした方がいいのに」「ああした方がいいのに」ということが出始めてきて…ただ自分がそれを言っていいのかもわからなかったんですけど…ただNegiccoの事務所に関してはすごいフリーダムな感じがしたんで、徐々に僕が口を出す感じになってきましたね。

(松村)Negiccoさんサイドが「そこまで言われたくないな」みたいなこともなく…

(雪田)そうですね

(松村)雪田さんから三人にこれまでアドバイスしたことで、印象に残っているものってありますか?

(雪田)言った本人が印象に残っているのだと…僕は自分流にやっていいんじゃないかってのがひとつあるので、ある程度頑張るところは頑張らないといけないと思うんですけど…誰かのようにやらなきゃダメっていうのはそんなに気にしなくていいっていうのはあって…そんなのはちょいちょい言ってましたけど。

(松村)例えば、他の売れてるアイドルを真似するようなことか、それを型にもってくるとか、そういうことではないよねということですね。

(雪田)そうですね、Perfumeさんみたいなキレのあるダンスをちゃんと見せなきゃダメだとか意識しなくていいし、ガールズグループの歌が上手い人みたいに歌いたいみたいなのも…そんなにやらなくていいのになというはあったんです。

(松村)もう今あるものを目標にするんじゃなくて、あなたたちらしさを大事にしてほしい…そう思わせる三人でしたか?当時、もうすでに?

(雪田)そういう人たちではありましたね。空気感がああいう感じなんで、自分らしくないものに寄せようとしても意味がない気はしたんで。

(松村)「ああいう人たち」というのは雪田さんの言葉でいうと今のNegiccoの雰囲気というのはどういうものなんでしょうか?

(雪田)(笑いながら)まぁ、新潟在住だから東京在住の人とは明らかに違うんで、そのおっとり具合の感じが…

(松村)東京にいるとなお際立つのかもしれませんね。おっとり具合とか…そのようにアドバイス等をだしながら、Negiccoと雪田さんの距離というのはどんどん近くなっていったわけですね。

(雪田)そうなんだと思いますw

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(松村)6年ほどタワーレコードの一人としてNegiccoさんと関わってきたわけですが、決断の時が訪れます。
それまで勤めていた「あこがれの」タワーレコードを辞めて、雪田さんは新潟に移住してくるわけですが、ここに至る決定的な何かってあったんですか?

(雪田)うーん…ポイントで一つの理由って感じでもないんですけど、何個か理由が重なってきた感じなんですけど…まぁウチのEHクリエイターズの事務所が熊倉(社長)さんがいい年代になってきて…毎回車移動しているんで、その運転もどんどんキツくなってくるじゃないですか。

東京の仕事もすごく多いので、そういうのもキツいだろうし…誰かが代わりにやらなきゃダメだろうけど、急に今のタイミングで新しい人を事務所に入れるのも結構キツいという話なんで…というのもありつつ、僕がレーベル以上に事務所の仕事もやってみたいという気持ちもありましたし…

あと僕、子供がいるので…僕も田舎出身なので、子供を東京で育てたくないっていうのがなんとなくあって…といういろんな理由がありつつ、最終的には満員電車に乗りたくないっていうのが一番デカいかな(笑)

(松村)そうすると「Negiccoをこうしてやろう!」という…

(雪田)「Negiccoをこうしてやろう!」というそんな強い感じよりは、いろんな周りの状況がどんどん…Negiccoの状況がこういうふうに変わってきて、事務所自体もですけど、状況が変わってくるんで何年もやっていると…
その時に対して何がいいのかって考えたときに、こんな感じになりました。

(松村)だって…社長の運転が大変そうだって内側にいなければ絶対に見えてこないことですよね。
そういうことを見ている中で自分が入るっていうのが選択肢に上がってきたと。
お子様は今何歳ですか?

(雪田)4歳と2歳です。

(松村)4歳と2歳…そうすると移住を決めるというときは生まれたばっかりと2歳くらいですね。奥様はどう考えていらっしゃったんですか?この決断を

(雪田)別に…「もう行くことに決めた」っていう俺がw

(松村)男らしいですね…相談じゃなくて決断。

(雪田)相談はしないですw

(松村)びっくりされていました?

(雪田)いや…「わかった」みたいな。

(松村)へぇ~、タワーレコードの皆さんはどんな反応でしたか?

(雪田)嶺脇さんは「行く」っていわれると思ったって言ってましたw

(松村)それはタワーレコードの社長さんからしたら、Negiccoに没頭しているように見えたんですかね。

(雪田)うーん、どうなんでしょうかね。そうなのかもしれませんね。

(松村)いろんな音楽を扱う大きい会社から、一つのグループを扱う事務所へ…そこに対して、心配だったりとか現実問題とか何かありましたか?

(雪田)アーティストが一人しかいないので、まぁ色々心配はたくさんありますけど…それよりは楽しいことをしたいというのがあったので、面白い方に行こうという感じでした。

(松村)新潟に引っ越してこられてNegiccoだけが仕事になったわけですけど、そうなってまた新たに見えてくるものってありましたか?

(雪田)いろんな周りの人からNegiccoらしいとか、新潟らしい…だから東京にいたら絶対辞めてたよねみたいな…その、絶対東京にいたら存在していないグループですよね。
その…誰も見たことないグループなんだと思うんですよね。
絶対東京に来ていたら辞めているんで、新潟にいたから誰も見たことのない状態のグループが今、見れているんだと思います。

(松村)それはタワーレコード時代に雪田さんが「歌の上手いグループ真似する必要ないし、キレキレに踊る必要ないし」っておっしゃっていたのと同じで、誰かの真似ではなくあなたたちにしかできないことをやってほしいという気持ちは常に持ってらっしゃる?

(雪田)はい、持ってますね。まぁ、ある程度努力はしてもらいつつということでw

(松村)ある程度の努力というのは例えばどういうことですか?

(雪田)「自分たちでいいんだよ」といったら…「まぁ練習しなくていいよね」という考えにはなってほしくないので、ある程度勉強もしつつ、練習もしつつ…ただなんかこの人みたいにっていうのは僕も考えたことないんで、やんない方がいいな思います。

(松村)今、練習はしっかりというお話がありましたが、1月26日県民会館での私立恵比寿中学さんとの合同ライブの「エビネギ」を拝見してきました。
私初めてNegiccoさんのステージを見たんですけど、歌もダンスもやっぱりCDの世界やPVの世界では分からない…すごく練習をされて、上手だなというのをすごく感じたんですよね。

(雪田)ありがとうございます(小声)

(松村)元々、Negiccoさんがたくさんのステージを踏みながら…新潟の商店街とかそういうところでずっと歌を重ねてきたというところの底力ってあるんですか?

(雪田)まぁ…多分他のグループよりは底力はある気はします、本当に。
場数はすごい踏んでいるのでNegiccoもよく言っているんですけど、何かアクシデントがあっても、あまりテンパらずに笑わせたりして…その場をしのぐっていうのは、場数感は他よりも強い気はします。

(松村)万が一音響に何かがあっても、とりあえずつなげてってというのは数をこなさなければできないことですものね。
Negiccoにまつわる様々な言葉がすごく面白いなぁと感じていて…例えばエビ中さんとのライブのファイナルは「二次会と打ち上げの間」というタイトルになっていたりとか、曲でも「愛、かましたいの」という曲があったりとか、日本語をすごく「ここしかない」というところを突いてくるというか、言葉のチョイスとかチームとしてこだわっていることはありますか?世界観みたいなものってあるんですか?

(雪田)その…曲タイトルはアーティストさんにお任せで作ってもらっていて、今回のエビネギに関しては別の制作のディレクターというかプロデューサーの方がいて…多分面白いアイデアを出しやすいキャラクターなんだと思います…Negiccoって。
だから…なんかすごい真面目な感じのビジュアルでもないじゃないですか。
だからちょっとひねくれたものをやれる…ことができるアイドルなので…そういう面白いタイトルがついてくるんだと思います。

(松村)そうすると…著名なアーティストの方が最近楽曲を提供されていますけど、そういうクリエイターたちも刺激するものを持っているという…

(雪田)そうですね、面白がってやってくれるところはあります。

(松村)Negiccoと7年、一緒の時を過ごす中で、彼女たちの変化を雪田さんは感じていますか?

(雪田)う~ん…変化ですか…常にずっと一緒にやってきているので、おっきくここが変わったというのはなかなか難しいんですけど…
ただ最初の時は何もわからずやらされているみたいな感じがあったと思うんですけど、今は自分たちのことが分かってやれているんじゃないかとは思います。

(松村)NegiccoがNegiccoを理解しているというところですね。この間のライブではメンバーのNao☆さんが「30歳になりました!」なんて話もされていましたけど、Negiccoのこれからの未来像をどのように描いていらっしゃいますか?

(雪田)もういい大人なので、それぞれの人生を大切にしてほしいというのが…それはタワーレコードの嶺脇社長もずっと前から言ってますし…そういうスタンスで最初から周りのスタッフがそういうイメージでやっているので…それは単純に本人たち次第で、それに合わせてスタッフが舵を取るみたいな感じですかね。

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※タワーレコード嶺脇社長(UX「アイドル15年」より)

(松村)会社に合わせてNegiccoさんがどうするではなくて、NegiccoはNegiccoの人生があってそれに雪田さん達会社が寄せていく…

(雪田)寄せていくのがいいと…まぁ、だから僕も新潟に来ので…なんとなく寄せていければいいかなと思っています。

(松村)メンバー誰かが結婚を申し出てきたら…そっちに寄せていく…

(雪田)寄せていきます(笑)

(松村)雪田さんが仕事をするうえで大事にしていることってありますか?

(雪田)うーん…楽しい方をする(笑)

(松村)その結果、青森から東京に行かれて、東京から新潟に…

(雪田)新潟にきましたw大変ですけど。

(松村)大変さってどこですか?

(雪田)あの~経済的にもいろいろ(笑)

(松村)でも、楽しい?

(雪田)楽しい方が…精神的にしんどいよりは全然、そっちの方がいいです。

(松村)楽しさを…それがNegiccoにも波及していく部分ですよね

(エンディング「君はドリーム」※中野サンプラザライブ音源)

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Negiccoはタワーレコードのアイドル専門レーベル所属です