※本記事はブリザード教会のホームページ「業界の実際」コーナーより一部加筆修正したものです。


「アクセサリー」というと業界では、メインの商品に対して「付随する小物」という意味合いで使われる。
景気が良く柄物全盛の時代、とにかくウエアと同じ柄がどこかについているアクセサリーというものが大量に作られ販売された。
特にレディースのエレガント路線のユーザーに向けては、頭から足元まで同じキラキラした柄でコーディネートできるようになっていた。
また、そのようなスキーヤーをゲレンデで見かけた方も多いはずだ。
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グローブ、帽子、アンダー、ソックス、バッグ、とにかく可能な全ての方法を駆使してウエアと同じ柄がどこかについているものが企画されたのだ。
さて、あえて「企画された」というのは他でもない、それを製品化して量産し店頭に並べるまでにはこれまた幾多の困難があったのである。
営業部隊も全体を覚えられる人はいなかったのではないだろうか。

当時、量産の現場で苦闘を余儀なくされたI氏は語る。


「最盛期はPH13からPH15頃でしょうか。(90年代の初頭の品番)
ウエアの生地は当然、強撥水や裏コーティングをしてあり、アクセサリーに使うには難儀するものが多かったと記憶しています。
現場では、アクセサリーで使用する布帛の要尺なんぞ10cmとか20cm。アンダーなんぞ5cm位。
営業から生産明細がきて生地の発注をしようとすると・・・・ミニマムロット(最低発注数量)に満たないことが多々ありました。
普通の会社ならウエアと同時明細にして一緒に発注するとか見込みで入れておくとか考えるのですが、P社ではそんなことがありませんでした。
生地担当者は様々な方法を駆使し(ウエアのロットに混ぜてもらう、残反をもらう、その他ここではいえないようなこと)を行ってました。
そして生地に色むらなんぞが出てC反(ウエアでは普通使わないクオリティ)になると生地屋から『どうせACC(アクセサリー)なんだから使えるでしょう。』と言われ、社内から『ACCはC反でもいいでしょ。』などと散々迫害されたのでした。
当時の生地担当者の努力と生地発注のボスの理解により徐々に改善はされましたが非常に非効率な生産をしていました。」

筆者注:
「要尺」=一点の製品に必要な素材の長さ。素材は反物であり幅が100~150cm程で、生地幅×要尺が実際に使う素材の面積となる
一度の注文で一反の機織をさせると大体50mくらいできてしまう。
要尺10cmならば一反50mとして500点分なのだが、一色で500点となり、さらに色数をかけ合わせるとかなりの規模になってくる。
さらに染めロットというもの(一色を一度に染める反数)もあり、実際は一反で済まない。

「さらに、生地を各工場に送る為に裁断をするんですが、その作業のほとんどは我々の手作業でした。1mの定規で基準を出して手作業で長さをはかり鋏で切る。
10メーターを越えると手がプルプルしてきてこの作業があると午後の2時間くらいは通常業務が出来なくもれなく残業の日々が続くのでした。(作業がなくても残業だけどね)」


景気の良い頃はウエア本体の品番数も多く、それらにコーディネートするアクセサリーも大変な数になる。
さらにウエアの売上もピークを越えたと思われる頃、アクセサリーで売上をカバーする方針が採られた。
その頃の状況をI氏はこう語る。


「サンプル段階でとんでもない数の品番数を作ったことがありました。多分、ピークはPHXかPHVの頃だったと記憶しています。
そのせいで受注が割れてロット毎の生産数が少なくなりました。その為、
①中止になる。
②未受注を込みでミニマムロットで生産。(小売店の注文数<ミニマムロット、製品が注文数より多く出来上がるので余った分を売りさばく必要が出てくる)
③原価を上げても受注数のみ生産。
ということが行われました。 その為、当初予定原価より原価がUPしサンプル作成経費も大変なものでした。」


と、まあ景気がいいはずなのに儲かるっているのか、そうでないのかよく分からないようなことをしていた時代もあったのだ。


最後にひとつ、トータルコーディネートの時代特有のアイテムにスパッツがあった。
レディスのウエアで、裾をブーツの中に入れる「スレンダーパンツ」が流行っていた頃、ブーツの上にかぶせるものだ。

キラキラの柄物のジャケットに無地のスレンダーパンツ、ブーツは白っぽいリアエントリー。
やはり足元にポイントが欲しくなるもので、ウエアの柄に合わせたスパッツというものが結構出ていた。

ところがP社においては、最初はスキーウエアの生産担当が片手間で作っていて、社内でもどこでどうやって作っているのか知っている人間が少ないという不思議なアイテムであった。
ウエアの企画部門にいた私も、課長が人知れず縫製仕様を起こしていたのを覚えている。
これもそのうち片手間でやっているわけにもいかなくなり、とある縫製業者に丸投げのような格好で委託された。

こういった細かいものはお任せしたほうが安く製造できて利益も上がる(と一般には言われる)が、P社で本当にそうなったかは??であった。
最もそう心配することも無く、スレンダーパンツの流行終焉とともにスパッツは市場から絶滅してしまった。