※今回初公開の内容です


元号が昭和から平成になって二度目の初夏。


私は社会人2年目で、スキーウエアの縫製指示をしていた。

普通であればそのシーズンのウエアの企画が一通りまとまる頃、いきなり追加企画として「スノーボード」用ウエアを作るという話が降ってきた。

「スノーボードって何ですか?」まずはそこからw

「雪の上でサーフィンみたいなことをするらしい」

「日本にもう入ってきてるらしいぞ」

「へぇ~♪」

確かミナミスポーツのカタログに写真が載っていたのを見てはみたが、実際に見たこともないのにどんなウエアにしたらいいか分からない。


その話のあった時、一着のプルオーバージャケットを見せられた。

「これを参考に作れ!だって!?」
○ース・○ェイスの製品だった(笑)


もとは4~5色くらい使ってややにぎやかな印象の配色であったが、これを同系配色にしてブラックのテープをアクセントにしたら…まあ、元のウエアとは若干印象が違って見えたであろうか?

もちろん、P社の社名のブランドでの発売である。
(P社初のスノーボードウエアの画像、下赤矢印実はジル・ベッカー本人!)
gil-becker

 
当時、スノーボードと言ってもどんな人間がそれで滑っているのかもスキー関係の情報網ではよくわからず、どういう関係で探してきたか私はよく知らないが、フランス人のジル・ベッカーという人物にウエアを着せてカタログ撮影をした。

たしか、開けたパウダースノーの斜面を今でいうところのスプレーを上げながら滑っていた写真だったと思う。

後でわかったのだが、ジル・ベッカーというのは普通人のやらないようなところを滑る「冒険スノーボーダー」とでもいうような人物であった。

確かスキーのジャンプ台を滑って(もちろん飛んで)その世界記録を作っていたらしい。


それから数年後、スノーボード市場が急拡大してきた。

1992年前後でピークに達したスキー人口だが、そこからスノーボードに移る層が大勢現れたのだ。

スキーというのはその長い歴史ゆえに、トップ選手から一般人まで巨大なピラミッド構造ができていた。巨大な縦社会といってもよい。
これは階級社会であるヨーロッパ発祥のスポーツということも関係していると思う。
スキーでは上手いヤツが絶対である。そして、上には上がいて一般人ににとってそれは雲の上の話というわけだ。

それに対してスノーボードは自由の国アメリカ、USA発祥であり、それを楽しんでいる人は縦社会というより横のつながりが強い非常にフラットな構造の中に存在していた。
また、最初期においてはほとんど全員が初心者であったというのもポイントだ。
スキーでは技術がなくて肩身の狭い思いをしていた人でも、スノーボードでは皆初心者同士であり技術によるヒエラルキーは存在しない。
そのため、スキーを見限った若者が多数スノーボードに転向していった。

また、ちょうどその頃町に広がってきたストリートファッションとの親和性もある。
腰履きパンツ、股下ズルズルのスタイルはスノーボードにぴったりはまった。

こうなると、もう別の業界になっていてスキーウエアのブランドでは通用しなくなってしまった。
なにしろ一時のスノーボード業界は「アンチ・スキー」であった。
バートンはスキーの技術は一切入れずに開発をしていると、スノーボードを作り始めたヨーロッパのスキーメーカーを暗に引き合いにして独自性をうたっていた。

お店もコアなところになると「スキーのブランドじゃねぇか!?何しに来た?あぁ!?」というような調子だったらしい。