※本記事はブリザード教会のホームページ「業界の実際」コーナーより一部加筆修正したものです。


このアルベールビル五輪以降、日本の各ウエアメーカーは各国ナショナルチームモデルを一般スキーヤーに向けて強力にプロモーションするようになった。
この時代、勢いとは恐ろしいもので、日本製ウエアがアルペン大国といわれる国で数多く使われていた。
D社がスイス、スペイン、A社がオーストリア、G社がスウェーデンという具合だ。
他にライセンス権を持っていたものも含めると強豪国ウエアがほとんど日本製で揃ってしまうという状況だった。


そんな中、P社は93年からノルウェーチームに供給を始めた。(92年まではイタリアE社、日本ではG社がライセンス保有)
ここでP社にとってはまたまた幸運が転がり込んできたのだ。

そう、日本開催の盛岡雫石世界選手権でノルウェーチームが大活躍。
ふたたび表彰台でこれでもかとウエアを見せつけたのであった。
 
かねてより期待されていたオーモットがSL、GSで金、コンバインドで銀(金は同じノルウェーのチュース)
女子ではルーデメルがDHで銀、SGで銅メダルを獲得した。
 
このルーデメルというのは、今から思えばこのときだけの一発屋だったということになろうが、当時は「お人形さん」のような容姿でスピード系に強いというなんとも魅力的な選手であった。
東京のユーザーイベントにも招待されて来日していたが本当に青い目をした「お人形さん」のようであった(下画像)

●P社後輩I君の思い出話

ノルウェー選手の来日時、
私は仕事中に当時選手対策課にいた同期のMから納品に行くから一緒に行こうと誘われ、大忙しの中、のこのこ付いて行きました。
宿舎はKプラで、部屋に行くとルーデメルはにこやかに対応してくれ、(顔はお人形さん、体型は男並み)
ラッセは時差ぼけで部屋で寝ていて部屋をノックするとパンツ一丁でプロレスラー顔負けの体型をのそのそゆすりながら出てきて、色々その場で着て見てくれました。結構お茶目さんでした。
握手してくれた手の大きさが印象的でした。
しんがりのオーモットは彼女と来ていて部屋にいたんですが、なんとなく邪魔してごめんと言う感じでした。
今となってはいい思い出です。いい時代でした。


晴れの舞台でのウエア【5】に続く