※本記事はブリザード教会のホームページ「業界の実際」コーナーより一部加筆修正したものです。

1992
  ↑ 当時の報道写真より


さて、いきなり厄介なオリンピックウエアを引き受けたが、思わぬ幸運が転がり込んできた。
ノルディック複合団体で日本が金メダルを獲得したのである。


前年までの流れを専門的に見ていれば予測できた勝利かも知れないが、世間一般としては非常にセンセーショナルでマスコミでも大きく報道された。
最終のゴールシーンで荻原選手が日の丸を振りながら笑顔を見せたことは見ていた人々に強烈なインパクトを与えた。
何しろ、スキー競技の表彰台に日本人が複数人数上がるなどということは札幌のジャンプ競技以来の出来事だったのだ。


表彰式では荻原健司、河野孝典、三ケ田礼一の三選手がP社のウエアを着てTV、新聞、雑誌などあらゆるメディアに露出した。
日本選手が金メダルを獲得した表彰台で着ていたウエアが、「日本風」の藍の絞り染めを表現したものだったのでこれは非常に良くできたストーリーであった。
商品としてもかなりの数が売れた。スキーウエア史上の大ヒット商品のひとつである。


P社としてもオリンピックでの各メディアの露出や販売店の好意的な評価に気をよくしてかなり大量に生産していた。
この時代の風潮としては積極的にどんどん打って出て、取れる売り上げはとことん取る!という感じであった。
とある販売店で当時ウエアを販売していた人の話。
「確かにアルベールビルのウエアはたくさん売れたけれど、P社はこれでもか、これでもかと商品を送ってきて驚いた。それがまたほとんど売れたのでまたまた驚いた。」


しかし、このウエアにも生産上の弱点があった。
「日本風」の藍の絞り染めを表現するため、ムラ染めという技術を使った。白い基布に染料が均一にならないようにのせていくのだ。
文字通りわざと染にムラを生じさせるというもので、当然生地裁断時にどんなムラ具合の部分になるかなどはいちいち見ていられない。
その結果、色の濃いウエアと妙に白っぽいウエアが出来てしまった。


ナショナルチームの選手はウエアをもらっている立場だから文句など言うものはいなかったが、お金を払って購入する一般のお客さんはそうは行かない。
お客さんの前に販売店の人が「これ何とかしてくれ!」といってくることもあったのではないだろうか。
私も店頭でこのウエアを見たことがあるが確かに白場の多いものはあったように記憶している。
当時、生産関係の社員が困りはてていたのを思い出す。
「そんなこと言われても…ムラがあるからムラ染めなんだけどなあ…」


以後、P社も他社も一定のムラを出すべく、プリント柄や抜染(部分的に色を抜く技法)などでムラを表現するようになった。
これには微妙な柄を再現できるプリント技術の発達が背景にある。
プリントでムラを表現するという技法をもっとも使ったのはG社であった。
この事例以外にも、P社が無茶な作り方を強行して苦労しているのに、G社はもっと「利口な」方法で似た効果を出していたことが多かったと思う。


このアルベールビル五輪モデル以降、ウエアメーカーは日本だけでなく各国ナショナルチームモデルを一般スキーヤーに向けて強力にプロモーションするようになった。

 
晴れの舞台でのウエア【4】に続く